久留米絣の歴史

久留米絣は200年の歴史があり、日本三大絣の一つです。200年の時代の流れに応じ進化し現在に残っています。久留米絣の発祥は、江戸時代後期、現在の福岡県久留米市に生を受けた井上 伝12歳(1788〜1869)という女性によって考案されました。利発な一少女 伝12歳(1800年)時のインスピレーションから端を発した斑点絣、伝はそのあとも黒田藩の大使と京都の織物の講師と共に精力的に工夫を重ね、久留米絣の普及活動を続けました。さらに1844年頃、牛島シノが久留米絣の代表的柄とされる小紋を考案、また大場太蔵が絵や文字を自在に表現しようと工夫を重ねました(1839年)久留米絣は時代とともに奥行きを増しながら、日本全国で認められ、今に繋いでいます。現在では、洋装化に伴い細い糸を使用し、肌触りが良く軽くそして馴染みがいい上質な絣が織れます。洗えば洗う程に着心地が良くなり、汗もギュッとすってくれるので夏でも涼しく着て頂けます。

丸亀絣織物

福岡県八女郡広川町にて明治初期から久留米絣の製造元として受け継がれてきました。戦後3代目の丸山亀男が新たに自分の亀の文字を屋号とし丸亀絣織物と改め久留米絣の製造卸売りをやってきました4代目丸山重徳が2次製品を作り製造・卸売り・小売りを始め、各地の百貨店にて販路開拓をしてきました。現在では5代目丸山重俊が一人でも多くの方に久留米絣の良さを知ってもらうために東京に店舗構え精進しています。

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